1928年、世界大恐慌が起こり、日本でも銀行をはじめ、大企業
・中小企業が相次いで倒産、勤務先を失った笹谷慎一郎(当時26歳)は母と弟二人を連れて、大津の家と畑を売却し、イタリアのフィアット2台を購入。トラックに改造して、当時の京都のど真ん中、三条東洞院東入ルで運送業を開業しました。
馬車や牛車の時代にトラックは目新しく、事業は順調に推移し、1932年に合資会社菊水自動車商会を設立しました。
京都の中心も三条から四条に移り、当社も本社を烏丸通四条上ルに移しました。
しかし、日本も5.15事件、2.26事件と続いて、政党政治より軍政となり、日中戦争・太平洋戦争へと戦線は拡大し、社員も次々と戦場におもむき、ガソリンもタイヤも配給となり
ました。
1941年10月、第一次戦時統合により、
数社寄り合って菊水自動車運輸合資会社を設立しましたが、1944年10月、第二次戦時統合により、遂に解散。
西京貨物自動車株式会社の設立に参加しました。1945年8月、敗戦。
1950年、朝鮮動乱により日本経済も自立し、道路運送法が公布され、統制が解除となり、京都で戦後第一号として免許を取得、菊水自動車運送株式会社として再出発しました。
実務は弟2人に任せ、社長は府会議員、京都府トラック協会会長、山鉾連合会理事を務めました。
1960年、安保闘争が高揚し、昔陸軍・今総評といわれて、労働運動が活発化し、当社も赤旗林立・ビラだらけの毎日となりました。
そこで、三兄弟は会社を分割することとし、1963年、本社は小川通御池下ルへ移し、次弟はギオン菊水運送(本社:大和大路四条下ル)を
末弟は菊水家具運送(本社:西大路四条下ル)を設立しました。
1964年、当社は、3分割の直後とはいえ社員は10名を割り、営業所は本社のみとなり、社長は淋しく不帰の人となりました。行年62歳、創業36年目でした。
その後東京オリンピック、大阪万博など、平和と高度成長に支えられて当社も立ち直りました。

やがて30年が経ち、
その間に世の風習はゆっくりと変わり、メインとしていた婚礼の荷出しは減少の一途をたどり、引越センターばやりとなりました。
1992年5月、倉庫業の許可を取り、菊水運輸倉庫株式会社と社名を変更しました。
4大証券のひとつ、山一證券の倒産に始まった日本経済の崩壊は、銀行・百貨店の相次ぐ倒産・合併と進み、当社も売上げの減少、人員整理、銀行の貸し渋りと貸しはがしの不況風を受け、1995年4月、トラック部門を分離独立させて、子会社の菊水自動車運送株式会社を設立。
本体は、2002年9月、優良トランクルームの認定を受けて、社名を菊水倉庫株式会社とし、横大路車庫及び本社車庫を閉鎖して賃貸する事となりました。 |